教育の費用対効果を考える
神奈川新聞2011年10月10日 朝刊掲載
私は、1960年代の信州の田舎で学童期を過した。
そこには、楽しい時間、広々とした空間、いつでも遊べる仲間がいた。
それと先生だ。
鮮烈な思い出がある。
小学4年生のとき、友達数人と体育館裏の倉庫に潜入し、埃(ほこり)に塗(まみ)れた木製のスキー板を発見した。
外は雪だ。
「先生、これ使ってもいいら?」
その時の先生の表情は、包容(ほうよう)力(りょく)に満ち、見守るように頷いてくれた。
当時、スキー板を持っている友達はいない。
貧困な家庭もまだまだ多かった。
学校の先生は、概(おおむ)ね尊敬されていた。
時代は変わったようだ。
今日学校教育に不満を吐露(とろ)する親が多い。
学校教育の最大の問題は、費用対効果だ。
つまり、あまりにお金がかかりすぎる割に成果がないのでは?という疑念だ。
莫大な税金を投入して“学級崩壊?”通常の経営感覚で言えば、これはおかしい。
“費用対効果”と聞いて「え?!」と感じる人もいるだろう。
公立小・中学に通わせている家庭は、直接学校に支払っているのは給食費用ぐらいだからだ。
目に見えるお金は少額。だから「公教育」がタダ同然だと考えてしまう。
それ故だろうか、“まぁ、ショウガナイなぁ”となる。
私立を視野にいれた学校選択を考えている家庭も多い。
しかし、その代償は高い。
私立分の費用は、自腹だ。
税金で公立の分も負担して、私立でも支払う。
これもおかしい。
誰もが教育を大事にし、充実して欲しいと願う。
要望する前に、各家庭で責任を果たすことも大事。
基本的生活習慣や道徳教育、人間教育を学校に委(ゆだ)ねることは止めるべきだ。
学校の第一義の目的は、「学力」をつけさせること。
教員たる専門家はそのために存在する。
なのに、子守りをさせている。実に勿体ない。
幼児教育が注目されている1つに「学力の芽」が、早期教育にあることが証明されつつあるからだ。
芽の中核は、言葉の力と知(ち)的(てき)好(こう)奇(き)心(しん)だ。
7歳から急に知的活動が始まるわけではない。
0歳から始まり、連続している。幼児教育に手を抜くと、そのツケが増税になる、と考えるのは飛躍しすぎだろうか。
今年の夏は、日本中で節電に励んだ。
家庭教育も工夫すればよい。
最大のポイントは、お金をかけずに、心のエネルギーを使うこと。
稚な児の頭の中が日々進化していることを想像したら、親としてやるべきことも見えてくる。
(「どんちゃか」「理英会」代表・米田 正人)