理究の哲学(エンジン)

第二章 自分ノ学

第四項 選択と意思決定

― 絶対性 VS 相対性 ―

絶対的な自分の基準、自分の感覚や好み、価値観に自信を持っている人には、少々受け入れがたい話かもしれません。実は、絶対的なものはある種”かなり頼りない存在”もしくは”幻想的”なものです。私たちは、常に周りのものを、他のものとの関係で捉えている、という証が数限りなくあります。

たとえば、下の図を見てみましょう。

【イラスト2】エビングハウスの錯視

AとBの中央の濃い円を比較してみてください。どう見ても、同じ円には思えません。Aの方が大きく見えるはずです。これは「エビングハウスの錯視」といいます。

もう1つの図は、見たことがある人も多いかもしれません。「ミュラーリアーの錯視」で、心理学のテキストに掲載されています。横の線は同じ長さです。

【イラスト3】ミュラーリアーの錯視

しかし、周りにあるものによってこれだけ違って見えます。
現象面だけを見れば、「へぇ~、凄いね」とか「ホォ~、面白いなぁ」だけですが、錯視、錯覚を紹介しているのではありません。私たち人間の”脳の仕組み”もこれと同じなのです。周りによって、自分の感じていること、考えていること、信じていることに”バイアス(偏り)”がかかるのです。
え?え?と疑惑をもったあなたは、下に進んでください。

ダニエル・カーネマンが行った研究を少しアレンジして、例を示してみましょう。次の問いを考えてみてください。
今月中に済ませたい用事が2つある、とします。
1つは、新しい高級ボールペンを買うこと。
もう1つは、ブランド物上下のスポーツウェアを買うことです。
事務用品店で3,000円のいい高級ボールペンがあり、買おうと思った。
その時に、知り合いから15分先の別の店でバーゲンがあり、同じ高級ボールペンが特価2,000円で買える、と聞いた。
あなたなら 次のAかB どちらを選びますか?
A この店で、3,000円の高級ボールペンを買う
B 15分かけて別の店で2,000円の高級ボールペンを買う
ブランド物の上下スポーツウェアを選びます。
今年流行している高級なスポーツウェアで50,000円するが、買おうと思った。
その時に、知り合いから15分先の別の店でバーゲンがあり、同じスポーツウェアが49,000円で買えると聞いた。
あなたなら 次のAかB どちらを選びますか?
A この店で、50,000円のスポーツウェアを買う
B 15分かけて別の店で49,000円のスポーツウェアを買う

もう、おわかりですね。2問とも差は1,000円です。
あなたの15分は、果たして1,000円の価値と天秤にかけられるのでしょうか?

カーネマンの研究では、1の問いはほとんどの人がBを選択します。
つまり、15分かけて、1,000円のために別の店まで行くと答えます。
2の問いでは、ほとんどの人が別の店には行かない、つまりAを選択するのです。
あなたはどうでしたか?

私は個人的に20人くらいに試してみました。90%の人が、カーネマンの研究結果と同じでした。
この問いは、15分余計に時間がかかることと、別の店まで行くことが、それによって節約できる1,000円に値するかどうかです。
1,000円という絶対価値は変わらないのに、行動が変わるのです。
この研究は、人間は絶対的な基準ではなく、相対的な目で自分の判断をするのだ、ということを示しています。

「特価のボールペンの相対的割安感を安価の高級ボールペンと比べると対比が大きいため、余計な時間と手間をかけても1,000円節約すべきだと感じる」

認知心理学者たちは、このように分析しています。
スポーツウェアの場合、相対的割安感がかなり小さいために、1,000円余計に払うほうを選ぶのです。

私の友人が15年前に、都内のマンションを購入しました。不動産購入は、一生に一度あるかないかの決断なので、相当慎重でした。彼は節約家でもあり、比較的合理的判断をする人間です。1年ほど情報収集をし、リサーチを繰り返し、最終的に候補物件を2つに絞りました。
中古物件です。
1つは、68㎡で5,800万。もう1つは72㎡で6,200万。子どもは授からず夫婦ふたりなので、68㎡で充分と言っていました。ほぼそれで決まると思っていたら、突然、
「70㎡以上は欲しいなぁ」と言い出し始めました。
「え?5,800万の物件、奥さんも気に入ってたよな。・・・どうして?」
「う~ん、何となくだけど・・・」
という感覚で、結局6,200万の物件を購入しました。
「え?4㎡で400万も違うぜ!」

金額が大きくなればなるほど、人間の感覚は「麻痺する」「狂う」「ズレル」ものです。
ダニエル・カーネマンは、多くの実験を通じて、人は確かな手がかりのないままに、非合理な判断や意思決定することを実証しました。
このことを「ヒューリスティクスによるバイアス(偏り)」といいます。
「ヒューリスティクス」とは、一歩一歩手順を踏んで解決するというやり方ではなく、”直感”で素早く結論を出す方法を指します。
簡単にいうと、”近道思考”=”短絡思考”=”あまり考えない”ということです。

これを「無意識の認知」と言います。そこには、怒り、恐れ、嫉妬、羨望といった感情だけでなく、空腹や喉の渇き、性欲や嗜好品への愛着などの強烈な欲求もあります。
たとえば、テレビ番組での「納豆菌は、○○の酵素があり、ダイエットに効果がある」という情報だけでスーパーの棚の納豆が品薄になったり、似たような素材の商品の5倍もの価格のブランド品が、セールで50%OFFになっているというだけで爆買いしたり(ブランド品のコピーでも購入する人がいる)します。
限られた手元情報に基づいて結論に飛びつく傾向は誰にでもあるのです。

人間はとても”不合理”な行動をするのです。
人間は「合理的な行動」より、むしろダン・アチェリーが指摘しているように「予想通り不合理」な行動をし、「予想通り不合理」な選択も意思決定もする生き物なのです。

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