NO5-5 「ほめる」よりも「認める」
かわいくば 2つ叱って 3つ「誉め」 5つ教えて よき人にせよ
わが子が乳幼児の頃、繰り返し、繰り返し名前を連呼し、言葉を教え、笑顔を教え、手取り足取り何でも声に出して、伝えています。これは、本能がさせる技ですよね。1つ1つが新鮮で(もちろん、完全庇護ですから子育ては大変!)、垢に塗れた大人を“生き返せる”ようなパワーを与えてくれます。
子どもが小さければ小さいほど、親は叱ったり怒ったりはしません。なぜならば、「小さきものは無知・無力であり」「大人が支え、守るべき存在であり」「成長するためには、誠心誠意するべきことをする」そのことを大人は知っているからです。そんな弱きものに罵声を吐くのは大人の人間としては落第。ましてや暴力を振るうのは常軌を逸しています。心が病んでいるので助けを求める事です。
「ほめる」という行為は、「励ます」「支える」「応援する」に置き換えられます。しかし、この行為も、子供の発達や成長によって変えなければならないことを、多くの親は、自然に学び、考え、やっていることです。
なぜならば、親というのは子供に対して「無条件の愛」=“誰が何と言おうと、あなたはあなたらしく生きることを認めているよ”と言えるのです。もしかしたら、それは親だけの特権かもしれません。
「認める」という強い意思。それさえあれば、小賢しい「ほめる」は不要かもしれません。
“かわいくば ⇒ よき人にせよ” という心情が、健康な親には備わっているのです。
「ほめ方」に留意点?
~ほめりゃ~良いってもんじゃない(笑)~
「すごい!」「さすが〇〇くんだね!」「えらいね!」「よくできたね!」
子どもをほめる時に頻繁に使われるフレーズ。
最近では日本人の「自己肯定感の低さ」が、世界各国の子どもとの比較でも話題になっています。その影響もあってか「ほめて伸ばす」論調が一段と強くなっている気がします。各国との比較調査は、質問紙によるもので、国民性が影響-日本人は遠慮がちな回答する傾向が強い-の可能性もあるでしょう。「自己肯定感の低さ」に対してあまり神経質にならなくてもいいのでは、と私は考えています。
図のマズローの欲求段階説で示すように、「承認欲求」という、他人から認められたい欲求は、強弱の違いはあるものの誰でも持っているものです。
しかし、ほめ方によって、子どもにマイナスな影響を与える、「叱る」行為と同様に、気を付けたいと研究者は警鐘を鳴らしています。
[マズローの欲求5段階説]
アルフィ・コーン は、著書『報酬主義をこえて』の中で、「ほめる」ことの難しさや、時には「ほめる」ことの危うさがあることを指摘しています。研究結果による留意点4点を簡単に紹介しましょう。
1、人間をほめずに、行為をほめよ
「〇〇くんは、素晴らしいね」「〇〇くんは、頭がいいね」というような“人物評価”をしすぎると、「素晴らしい」自分を演じなければならなくなり、何をやっても自分というものにこだわり、気取り屋になったり、自己軽蔑に傾きやすくなります。「頭のいい」であり続けるために“失敗を恐れる”“チャレンジを回避する”など周囲の評価から自分を守ろうとします。学習意欲を失い成績が低下することも報告されています。
2、できるだけ特定した褒め方
「〇〇くんの絵、上手!」と、中身のない表面的なほめ方で慣らされた子どもは、“常にほめてほしい”という承認欲求が強くなり、ほめてもらわないと自分自身に自信がなくなり、不安になったり、不機嫌になったりします。「今日の〇〇くんの絵。頑張って描けているね。先生は、この緑色の使い方が素晴らしいと感じたよ」というように、具体的な行為をほめることを推奨しています。
3、まやかしのほめ方をやめよ
親でも保育士でも講師(教師)でも、子供がしたことを心から喜んで、あるいは評価したならば、自由に表現すべきです。ただ、“賞賛”が明らかに自然ではなく、意識的な策略であったり、“賞賛”をせねばならないといった強迫的なものだと、結果はわざとらしいものになってしまいます。4歳児ともなれば大体、本当に喜んでいるか、うわべだけでほめているのか、わかるようになります。つまり、ほめる行為の価値がなくなるし、指導者への信用も落ちるのです。何より、努力の有無にかかわらず「上手!上手!」と言われれば、努力をして何かを成し遂げる必要性を感じなくなります。
4、競争をあおるようなほめ方を避けよ
誰かと比較して褒めるやり方は、決していいものではありません。公の場で「〇〇さん、キミがクラスで一番だ」といったほめ方が、内発的動機付けを損なう-つまり、好きで楽しくて学んできたことが、「競争」に置き換えられてしまう可能性があるというのです。さらに、クラスメイトを協力者としてではなくライバルとしてみる態度を助長すると、指摘しています。