NO6-4 それが「ウマトラ」になる
精神分析創始者のジグムント・フロイト は、ノイローゼ患者と接しているうちに、幼いころの心の傷が、その後の人生に長く影響することに気付きました。そのような“心の外傷体験”を“トラウマ”と呼びました。通常は無意識の中に抑圧されています。
私は、この心的外傷体験の逆、つまり、人生の転機になるような体験は何と呼ぶのかを愚考しました。当時は、最近流行りの「セレンディピティ」という言葉もなく、ぴったりの言葉がないので、トラウマの逆さま的意義を与え「ウマトラ」と命名しました。「ウマトラ」は、私が1984年に提唱した概念です。偉そうに言っていますが思い付きです(笑)。ですから、辞書にもネットにものっていないはず。理究の中でも、社歴の長い数人の幹部しか知らないと思います(泣笑)
子ども達の生活体験の中に「心的外傷」とは全く逆の、その子を大きくプラス方向に誘う、変えるような強烈な体験、その子なりに“カキーン”と脳裏に響き渡るような爆発的体験を提供していきたいと考えていたからです。
「ウマトラ」を教育の中で考えていこう!と、真面目に思っていました。合宿企画運営や、同じく、幼稚園教育も自由にやっていました。
ただ、「ウマトラ」はモノではないだけに『はい、くださいな』というわけにはいきません。リーダーや参加者たちが、とにかく、楽しむ、真剣になる、夢中になる、バカをする、自分を棄てる、自分を超える、チャレンジする、燃える・・・そんなことができる【仕掛け・仕込み・アイデア】を練り、企画し、実践してきました。
たとえば、合宿の度に、参加者一同が踊れるダンスを創作しました。と、いうのも幼児教育(3歳~5歳)を日々実践している中で気が付いたことですが、曲を流しながらのダンス(体操)は、幼児たちのノリがいいのです(笑)競争のない(勝ち負けがない)身体運動は楽しめます。加えて、ダンスに言葉や理屈は基本的に不要。
曲が流れれば、幼児から小学生は、ほぼ100%照れずに体が動きます。中学生になると半数は消極的になりますが、中には“格好よさ”を追究する生徒も登場します。参加者は、基本的に合宿で初めて会う子供たち。その子たちがチームになって過ごします。朝、昼、晩、事あるごとに皆で踊ります。踊るごとに、気持ちが1つになっていきます。ダンスは、合宿・キャンプの必須アイテム。曲の選定、振り付けなど、徐々に学生陣にバトンタッチ。40年後の現在では、学校でダンスが必修となりました。隔世の感があります。
思い出に残る、しかも学習教材としても価値のある「記入式合宿ノート」も制作しました。参加者の中には、そのノートを“一生の財産”のように大人になっても大事に保管してくれる者もいます。
一期一会の世界。それをどう創造し、演出するのか心血を注いでいました。1年に、たったの1回~2回だけ参加する子供たちのフェスティバルなのです。対象は、幼児から中学生まで、年に7回~8回キャンプ・合宿教育を敢行していた時期です。ただ、日常的、恒常的な事業ではないので会社経営の側面からは、明らかに疑問詞が付きます。若いからできた、楽しいからできた、偶然の産物なのです。でもそれが肥やしになるので人生は捨てたもんじゃない(汗笑)キャンプリーダーを経験するのはおススメです。
話が横道にずれました。「トラウマ」に戻りましょう。
「型」にはまらず、嬉々として子どもたちは気の向くまま、自由に反応したのです(私にとっては、よくも暴走してくれましたね(泣)ですが・・・)。
小学1年生の音楽。目的が発声することを学ぶ、歌の楽しさを味わう、合唱する楽しさを知る、であるならば、“ハチ”でも“ハエ”でもいいのです。何なら、“ぶた”や“うし”でも、何なら“いす”や“くつ”でも・・・(笑泣)
後出しジャンケンなら、いくらでもアイデアは出ます。未熟な私は、「型」に嵌めようとしていたのです。私の志向が「資格取得のための最後の1時間」に捉われていたのでしょう。そこには長期的な目標がありません。当たり前ですよね、私は単なる教育実習生です。ミクロにこだわるあまり、対応能力が発揮できなかったのです。
幼児、小学生、中学生、高校生を指導するには、彼らの目線にあわせることが肝要と言われます。それに気づかせてくれた貴重な体験となりました。能力や興味を理解しなければ前には進みません。指導者側の都合では教えられない、という鉄則が横たわっています。40年以上昔の思い出は、徐々に融解し、その後昇華し、今では、その“鉄則”に魂を宿らせています。と、同時に指導者の器量が若者を育てることを知りました。
「米田君、あれでいいんだよ」の言葉は、私にとって“神メッセージ”つまり「ウマトラ」となったのです(感謝!)
この体験は、「指導理念」「教育理念」を語る上で、私の中での1丁目1番地となりました。